二十年後。救命救急センター長設定。若干アダルティです。











もう一か月家に帰っていなかった。センターの者全員が昼夜問わず働いている。俺の愛車も長いこと乗られることなく、駐車場に放置されたままだった。













夜明け前のノクターン


















センター長室の椅子に座り、束の間の休息をとる。はあ、と一息つくと疲れが溢れた。メガネを外し、いつ淹れたか分からないコーヒーを飲む。冷たい。喉の渇きは癒えなかった。
───コンコン。目を瞑った瞬間に、ドアがノックされた。なんやねん、こんな時間に。少し躊躇ってからドアを開ける。目の前には内科のが立っていた。白衣のポケットに手を突っ込んだまま、感情の掴めない目をしてこちらを見ている。

「寝てたか?」
「────いや、」
「入ってもいいか?」
「ああ」

薄暗い部屋に入ったは、近くにあった薄い書類を手に取ってまた元に戻した。

「なんか用か?暇やないねんけど」
「ああ・・・、ごめん、すぐ出て行くよ」

気優しい男だった。大手商社の令嬢を妻に持ち、愛に満たされ安定した生活を送っている。病院内で妻と仲睦まじく会話している姿を何度か目撃したこともある。子供はいないと言っていたが、それでも十分幸せな人生を満喫しているのだろう。涼しげな黒い瞳に宿る柔和な表情が、それを物語っていた。線の細い身体は常に白衣に覆われていて、時折目につく左手の薬指には謙虚に輝く幸福の証があった。
目の前でこちらに背を向け佇む彼は、いったいここに何をしにきたのか。もやもやとそんなことを考えて、たまらず腕を引き唇を奪った。驚きで見開かれた黒い両目。の低い呻き声が聞こえ、肩のあたりを力一杯押された。抵抗されている。だが退かない。退いてやるものか。腰に腕を回し、後頭部を右手で押さえつけると上唇を吸ってやる。途端にの身体が強張った。淡白な男だと思っていたが、やはりそうだ。奴はもうどうしたらいいか解らなくなっているに違いない。

、」

唇が離れた一瞬、名を呼ぶと強く瞑られていた瞼がうっすら開かれた。啄むようにキスを繰り返しながら名前を呼び続ける。はたまらず顔を背けた。すぐさま首もとに舌を這わす。

「う、んっ・・・」

熱い吐息とともに色っぽい声が出た。彼自身、信じられないというような顔つきをして、口を手で覆う。長い指が口を抑えつける圧力で白くなっている。俺はここらでちょっとからかってやることにした。

「どうしたん?エッチな声出して」

腰に回した腕に力を込め、さらに引き寄せる。は耳まで赤くして少し顔を伏せた。口はまだ白い手で覆われている。

「キス、でけへんやん」

せやから手、どかして。




男同士なのに、とか、結婚してるのに、とか、そんなくだらない戸惑いなんか考えさせる間もなく俺のものにしたかった。でないと俺が虚しさで崩れてしまう。強気でいられるこの一瞬の間に、身も心も奪い去りたかった。いつもいつも、なんともない彼の仕草が煽情的に見えて仕方なかった。彼の身体を堪能したくて堪らなかった。どうしたって純愛にならないこの愛情が哀しかった。彼はけして俺を恋愛対象にしない。頭の中でなにより理解していることが、とてつもなく寂しかった。



は驚くことさえままならない様子で、俺に視線を送っていた。双眸は涙で濡れている。俺はわざと欲を孕んだため息を零して、の困惑した目を見つめた。彼が唾を飲み込んだのが分かった。。掠れた声で名を囁き、ゆっくり唇を近づける。もう抵抗はしてこなかい。流されてくれた。そう思った。そう思うとひどくほっとした。
ソファに押し倒す。彼の両手首を掴んでソファに押しつけた。と、突然身をよじって抵抗を始める。これ以上は嫌ということか。

「や、やめっ、」
「今更なに言うとんねん。お前かてセックスしたいやろ」

ベルトを外し、スラックスと下着の間にゆっくりと手を差し入れた。男に触られるのはおそらくはじめてだろう。彼は完全に怯えきっていた。荒く呼吸をして目をぎゅっと瞑る、あまりの背徳的な姿に俺はめまいがした。そうして快楽の淵に堕ちてゆくのだ。










朝四時になっていた。目が覚めるとソファの中で、ふたり縮こまって眠りこけていた。ソファの幅が広くて助かった。俺は少しため息をつく。少し肌寒い。裸で俺の隣にうつ伏せになり寝ているは、ちょっとやそっとでは起きそうにない。俺はそのままを抱きしめ、柔い髪に鼻を押しつけた。落ち着く。

「犬みたいになんでもかんでも嗅ぐなよ」

急にが呆れたように呟き、肩を震わせて笑い始めた。起きていたのか。俺はなんだか無性に恥ずかしくなって、顔をしかめた。彼はどうやらもう開き直ってしまったようだ。ゆっくり起き上がったは、ソファの縁に座った。細くて柔らかそうな髪の毛をぐしゃぐしゃ掻く彼の横顔には、昨夜までのいやらしさは残っていなかった。むしろひどく甘酸っぱいような、春風が吹き抜けたような微笑みさえ浮かべている。俺は彼の隣に腰掛け、まだぼんやりとしていた。妙に疲れた。昨晩は年齢を省みず、まあ激しくしてしまった。三十越えるとそういう夜には対応しなくなるらしい。

「キスされたとき、自分の気持ちを隠せそうになくて、忍足のことが好きで仕方ない自分を見られるのが恥ずかしかった」

「・・・・・、何、言うとんねん」
「はは、間抜けな顔」
「お前、自分が何言うてるか分かってる?」
「分かってるよ、君に恋してる」
「おっ・・・お前今こそめっちゃ恥ずかしいで・・・」
「そうか?」

にこっと笑ったは俺より余裕綽々だ。男前になっている。俺がばかみたいだ。ひとりでもやもやして、がきくさい。他人に愛されることにここまで疑問を持ったのは初めてだ。

「誰もが憧れる奥さんのおるお前が、なんで俺なんかに浮気してんねんあほ」
「浮気はしてないよ」
「したやろ、肉体関係から浮気や。お前、後悔するで、俺なんか好きになっても幸せになんかなれへん」

幸せになれるわけがない。男を愛すということは非常識的で、医者という職業上倫理的に外れる行為(ここでは浮気だが)は特に避けるべきだ。それでも彼は、「それでも好きだ」と言った。
俺ははにかんでしまった。じわじわ、じわじわ。至福がこみ上げてくる。既婚者は恋愛に関して慎重だからな、と俺には理解しがたい台詞を吐いたは、床に落ちていたシャツを羽織った。俺も早く着替えなければ、と起き上がったところで救命のブザーが喚くように響く。救急車からの要請を受けた治療室が一瞬ざわめいたのが分かる。俺は急いで着替えると白衣を引っ張り出した。はソファに座ったままこちらを見ている。

「ええんやな?」

そっとメガネをかけて問うた。本気になってもかまわないと言うんだな。臆病なまま愛していいんだな。浮気になっても、いいんだな。
は笑った。それが答えだった。頼りない笑顔だったが、今の俺には有り難かった。治療室まで駆けていきながら、不謹慎にも笑ってしまった自分がいやらしく思えた。そんなものも、手術台に患者を引っ張り上げた途端に頭の片隅に追いやられたけれど。





















(20090405 アダルティになってしまいました。忍足医者設定が好きすぎるらしい)