ああどうも、こんにちは。桜の花も薫り高い春の午後、いかがお過ごしですか?病院やから声が小さいのは勘弁してや。俺の名前は忍足侑士。あの夏から十年経ち、俺は医者になりました。大阪にある親父の病院を継ぐことに決め、なんやかんやで相当稼げるしええ感じやったんやけど、問題が浮上。
「腹減ったなあ〜すき焼きがええなあ〜今夜は」
ほらきよった。
「病人は豪華な飯食ったらあきません」
「俺は骨折や、関係ない」
それはこの患者。忍足さんち(俺んちやないで)のくん。昔から俺を困らせては、その事実さえも忘れてしまうという調子の良さが玉にきず。右足の複雑骨折で個室をいただけるだけありがたく思え。と言ってやりたいが、俺は仮にも医者なので乱暴なことは言えない。
「そういえばさっき謙也来たで」
いちごを頬張ったはにやっと口角をつり上げた。俺はベッドの端に腰を下ろし、白衣の胸ポケットからボールペンを取り出して弄る。謙也か、どうでもええやつや。なんて頭の中では考えているが口には出さない。
「へえ、あいつなんか言っとったか?」
とりあえず訊ねておく。がベッドに倒れ込むと、彼の黒い髪がぱさりと白い枕に散った。俺はそれを眺めていちごを皿から一粒頂戴する。水気の多い果実はかなり甘かった。たぶんこれは謙也が持ってきたものだろう。成人男性のお見舞いにいちごなんか、なかなか贈ろうと思わない。がなによりいちごを好きだと知っている人物しか持ってこないはずだ。
「やぶ医者に気ィつけろって」
「・・・謙也のやろう、ほんまにぶん殴ったろかな」
「あーあかんぞ侑士、〈なかよしこよし〉せな。あっ、おまえメガネ変えた?」
「いつの話や。もうずっと前からこれや」
そう言ってメガネを押し上げると、鼻で笑う声がした。
「まさかほんまに度の入ったメガネかけることになるなんてなあ。似合てる似合てる」
目を見られるのが嫌で伊達メガネをかけていたが、ある日ほんとに視力が落ちていることに気がついた。成人式で久しぶりに会った旧友たちにこの話をしたら笑っていたが、俺としては一石二鳥でかなり満足している。は俺のメガネを突っつき、ひひひと笑った。







彼は中学時代陸上の短距離走をしていたが、俺が大阪に帰るといつもテニスの相手をしてくれた。背が高くひょろりとしていて、ロブなんかにも全然引っかかってくれなかった。ちょんって返しよんねん。こいつにはなにも適わなかった。高校に行ったら身長は抜かせたが、結局テニスも負けた数の方が多いし、頭もかなりいい。今は大学の研究室に篭もって日々数学の研究に励んでいるらしい。その割にインテリな感じはなく理屈っぽくない。そこが彼のいいところで憎いところだ。スタイルもいいし笑うとかなりキマるし甘え上手(三人姉弟の末っ子だ)、月収もみっちり貰っているだろう。やつの住んでいるマンションは、人知を越えた高さをしていた。エレベーターに乗る時間が長い。お隣さんとの距離が遠い。エントランスやマンションの廊下にまで敷き詰められた柔らかい絨毯。部屋の備え付けジャグジー、地下にはフィットネスクラブ。屋上にテニスコート二面。鼻を高くして語るの姿が今でも思い出される。休日の夜はよく三十五階のバーに行って飲んでんねん。昼間はジム行 って汗かいて。このマンションにきてからかなり充実した生活送れてるわ。侑士もどうや?一緒にテニスせえへん?・・・・・まあそんな完璧なこいつも、階段から落ちて骨折しているが。ざまあみろ。いや待てよ、大学の研究室長ってそんなに儲かんのかいな。転職考えとこ。










「侑士」
窓から昼下がりの陽光が差し込み、眠気を誘う。が舌足らずな声で呼んだ。振り向くと目を細めてにこにこしている。おそらく、おねむだ。
「・・・なんや」
「ちゅーして」
は?ちゅー、ちゅーですか?
「うっわ、さぶいぼ立つんやけど、キモすぎる。欲求不満は彼女で補え(寝ぼけてんのか、こいつ。それとも脳の病気か。CT撮らな)」
「冗談やんか・・・なにもそこまで言わんでええやん。今彼女おらんし・・・」
「わかっとるわ、あほ。そんなつまらん冗談言うてる暇あんならさっさと治せ」
「いった!なにすんねん!」
折った足を叩いてやると怒鳴られた。ベッドの空きがなくて困ってんねん。







数学とは奇妙なもので、宇宙のことを解明するのも数学の役目の一つらしい。それは科学の仕事にしか思えないのだが、世間には五大理論たるものがあり、宇宙のかたちを問うものまであるとか。そんなものが数字並べただけで解けるのかは謎だが、少なくともはそれを研究している。前に彼が嬉しそうに「宇宙が丸いっちゅう仮説が証明されたんや」と力説していたが、なにを言われているのかさっぱりだった。宇宙って無限やないんか、と問うと、無限やけど今でも広がり続けてんねん、と矛盾した答えを出してきた。そして彼はそのときこう言ったのだ。
「人間みたいやろ」








宇宙は骨折するんかな。俺は病室を出るとき、ふと思った。彼はもう完全に眠りこけてしまっていて、俺が部屋を出たことには気づかないだろう。寝息を立てているの頬にくちづけをくれてやると、二十年も前のことを思い出した。その頃から謙也とと俺の従兄弟三人は仲が良くて、〈なかよしこよし〉の証のキスアンドハグは当たり前だった。一緒に風呂も入ったし同じ布団で寝た。あの頃から変わっていない頬の柔らかさに少し驚いたが、なんだかほっとした。そう、あの頃からなにも変わってなどいない。彼は幼いときから星の煌めきに夢中だった。宇宙(そら)の壮大な碧に心奪われていた。小学生の頃、共にプラネタリウムに行ったときのあの目の輝きは羨望にさえ似ていた。彼が無限のロマンを追い求めるのは、必然だったに違いない。
「人間みたいやろ」
その一言にこめられた切なさや希望に、俺は肯くしかない。俺もまた彼と同じで、宇宙のように未来が無限に存在し、可能性も限りない、広がっては収縮して成長を続け、膨大な心理を孕んでゆく人間だから。
足が治ったらそのテニスコートで遊ぼう。そこならきっと空が近いから。









天文のかなた

































(20090329 みんな違う道を歩んでいても、ずっと一緒だよという話)