ペレストロイカ








これを僕は知っている。この懐中時計はいつもが身に付けていたものだ。ドラコは困惑の色を示す。


「こ、こんな・・!・・・もらえません・・・」
「どうして?気に・・入らなかったかな?」


寂しそうな顔をする。ドラコは慌てた。にこんな顔をさせたくない。


「ちっ違います!そうじゃなくてっ、これは先生のだから・・・」


懐中時計を握り締めてからの胸に押しつけた。の声は聞こえない。雪の積もる音が聞こえそうなほど、静かな沈黙だった。
本当のことを言えば、今にも喉から手が出そうだ。すごくほしい。好きな人のものがいらないやつなんてどこにいる?握った拳を解きたくないと、心からと思った。けどこれは、重すぎる。いつも彼のポケットに入っているものだ。易々ともらっていいものだとは思えなかった。淡い黄金のさほど大きくない、アンティークな時計。彼にぴったりだ。


「君ならもらってくれるかと思ったんだ。君にはこれがとてもよく似合うと思ってね」


ドラコの手から受け取った時計をそっとドラコの髪の毛に近づけて、嬉しそうに微笑んだ。


「ほら、同じ色」


どきりとした。彼はこういう人だ。こんな恥ずかしいことを、さらっと言ってのける。初めて彼の授業を受けたときも、初めて彼と出掛けたときも、こちらが耳まで赤くなるようなことを言っていた。こんな人が、女にモテない訳ないじゃないか。
彼は百人の男と一人の女、どちらを選ぶだろう。答えは解っている。彼は一人を選ぶ。なぜならはゲイじゃないからだ。・・・僕だって以外の男には興味ないけど。
これはね、とは語り出した。次の言葉を考えながら口を尖らせる。これは彼の癖だ。


「これは俺の父の形見なんだ。生前、父がいつも持っていた。だからこれを身につけていると父が傍にいるような気がするんだ・・・けど、それはむしろとても辛いことだった。見ると、父も母も思い出されてしまうから。もういない、最愛の家族がね」


アイボリーの毛糸で北欧の伝統的な模様が編まれ、ブラウンのボンボンがついた可愛らしい帽子の下で、高い鼻が赤くなっていた。ラビットファーのイヤーマフはとても暖かそうなのに。息は真っ白に染まり、俯く睫毛はやさしく輝いている。


「ドラコ、君にこれを持っていてほしい。この時計を目にしても悲しみに捕らわれないような強い自分になれるまで、君に預かっていてほしいんだ」
「・・・・先生」


どうして。どうしてそんなことを言うんだ。ドラコはの青い瞳から視線が離せなかった。どうして僕なんかを選ぶ。ドラコの掌が広げられ、懐中時計が落とされた。さあ、握って。の声だけが鼓膜を震わせる。まるで暗示をかけられたかのように、手は閉じた。ドラコは泣きそうだった。彼の悲しい家族の話、淋しい選択、辛い定め。僕は今まで彼を何も知らずに、好きだと言ってきた。それがどれだけ恥ずかしくて無知なことなのか、今更ながら思い知らされた気がする。それでも彼は笑っていた。自分に微笑みかけてくれた。その事実に涙が止まらない。


「僕はっ、なんで、あ、あなたのこと・・・っ、」


今まで知ることができなかったのだろう。知ろうとしなかったのだろう。あなたの一部を知った今、あなたの為に自分には何ができるだろうと模索し始めています。そう、今更。己の遅すぎる思考に、腑が煮えくり返りそうです。
懐中時計が掌から落ちてしまっていた。雪に埋もれて見えないそれに、は視線さえも移そうとしなかった。なんとかドラコの思いを汲み取ろうとしている。その彼の姿は、今にもドラコの手を握りそうなほど低くなっていた。眉間には皺。


「ドラコ、きみは・・・俺のために泣いてくれているのかな」
「・・・え・・ひっ、く」
「いや、その・・・そんな風にしか見えなくて。自意識過剰だと思われても構わない・・・でもドラコ、きみが泣くのは俺もつらい」


あなたの為に泣くなんて、僕はそんな綺麗な理由じゃ泣けないけど、少なくとも僕は自分の為に泣いています。あなたが、死ぬほど恋しいから。
は冷やされた懐中時計を拾い上げた。雪を払うと、自分のポケットに仕舞う。ドラコは涙を拭けなかった。放心だった。ただ、胸を埋め尽くすへの愛が苦しくて恋しくて悲しくて、どうにかなってしまいそうで、いやもうどうにかなってしまっているかもしれないけど。泣き疲れたかい?とはほのかに笑ってから、ドラコの頬を指で拭う。


「気を、悪くしたかな・・でも、泣き止んだみたいでよかった。そういえば、今日はクラップとゴイルはいないのか」


きょろきょろとあたりを見回す彼にはすでに微笑みが戻っていた。その二人は菓子屋に入ったっきり帰ってきていない。
ドラコは両手を伸ばした。手袋をしているから細かい作業はできないけれど、目の前の人間の顔を挟むことくらいはできるはずだ。の頬は暖かくてあまり柔らかくなかった。脂肪が少ないからかもしれない。突然頬に触れてきた生徒に、は嫌な顔一つしなかった。


「ドラコ、なんだ?」


きっと真っ赤になっているであろう己の恥ずかしい顔。でも、もうどうでもいい。もし僕が人形になるとしても、彼が好きだという感情以外に残しておきたいものなんかない。あなたがいとしい。それだけで十分。
背伸びをした。なかなか安定しない震える体には苛立ったけれど、届いた。ニット帽から彼の形のいい耳を出す。


「好きです、先生。とても、ものすごく」


その耳元で囁く。だめだ、我慢できない。だから近くにある赤い唇に口づけを寄せた。そっと暖かい感触に落ち着きを得る。あなたは今何を思うだろう。男にキスされて最悪?生徒に愛の告白をされて衝撃?どちらも含めて阿保らしい?でも、これが今の僕の精一杯。今更になって汗がだらだらと流れてきたが、それが関係あるかい?こんなに好きだ。伝えなくちゃただ腐るだけ。初恋は腐敗。そんなの嫌だった。なぜならそれは、相手があなただから。


「・・・っ、好きだっ・・好きで、つらい・・・」


なぜだか涙がまた流れ出て、ドラコの両頬を濡らした。今にも口から溢れそうな嗚咽に我慢できなくなって、その場から走り去った。その小さな体を追いかけられず、はただ立ち尽くす。なぜ走って追いかけることができない?いつもだったらそうするのに。唇の妙な湿り気がなにかを訴えていた。





人気のない場所でドラコは泣いていた。鼻を擦る。泣き顔ばかり見られてしまう自分の情けなさ。まったく、そのくだらなさったらひどいな。ドラコは自嘲気味に笑った。ポケットの中に手をやると指先が箱に当たる。プレゼントだ。へのクリスマスプレゼント。ほんとは今日渡すつもりだった。冬休みで家に帰る前に。けれど、渡せそうにない。あんなこと言ってあんなことして、顔なんか合わせられるわけがない。できればもう一生会いたくない、いや、冗談。ほんとは今すぐにでも会って、彼は自分のことをどう思っているかを確かめたい、ような気がする。たぶん。様々な思考が交錯して、どれが本物なのか、どれを尊重するべきなのかが解らない。好きだ。その思いになんの躊躇いもないし、今更後悔もない。けれど、なんて陳腐な好意。七歳も年の離れた男に(男に、だ)恋をして、無理矢理にキスをして。


「僕は最低だ」


勝手に好きだと言っといて、逃げ出す男がどこにいる。好かれたい。けれど、それを確認する術がない。真実を知るのが怖い。ドラコはその場にしゃがみ込んで、頭を抱えた。




はホグワーツに帰ることにした。私事で頭を抱えるのは勝手だが、今の城には問題が山積みだ。シリウス=ブラックの侵入、ハリー=ポッターの安全、ディメンターへの厳重な注意。リーマスの秘密を仄めかしたスネイプにも気をかける必要があった。そうだ、色恋沙汰にあたふたしてる場合じゃないんだ、頭を切り替えなくては。はぼんやりと雪の敷き詰められた道を見つめた。・・・駄目だ。キスの感触が、まだ微かに心を撫でている。心が波立つ。ざわめく。ドラコの泣き顔を思い出して、顔をしかめ額に手をやった。複数のことを一度に考えると、頭が痛くなる。彼は辛くて泣いていたのか、それとも悲しくて?俺に口づけできたことが幸せで?解らない。人の心が解らない。
















































20081012(20091229 改訂)