日曜の朝。もう時計は8時を回っていたが、ベッドから出る気にはなれなかった。ゴイルとクラッブはさっさと部屋から出て、朝食でも食べに行っているのだろう。ドラコはシーツにしがみつくようにして、目を瞑っていた。
ずっと頭の内をかすめるのはあの人のことだけで、脳味噌が苦しいと訴えているかのように頭痛がしていた。
。二十歳の、まだ幼さの残る顔で微笑まれたときのことが、今でも鮮明に目蓋の裏に焼き付いている。思い出すたびに、どくどくと血液が流れていく。どうしたらよいのかわからない、自分の感情に戸惑いを隠せないまま、閉じていた目を開いた。


「寝れない・・・くそっ」


ベッドから這い出て、靴を履く。窓の外は、きれいな水色の空が広がっていた。雲が細く流れ、日光はそれほど強くない。自然にためいきが出た。
多くは食べられなくとも、オレンジジュースくらいは飲めるだろうと、下の食堂へ向かう。




が来たときは、精々いじめてやろうとドラコ自身思っていた。だから彼の初めての授業で、わざとあんな質問をしたのだ(詳しくは連載「ペパーミントの呪文」1)。なのに、墓穴を掘った。わざとなのか、無意識なのか。くどき文句を言われてしまって戸惑った。あんな言葉をかけられるのははじめてだったんだ。だからだ。と自分に言い聞かせてみても、もう一人の自分が「それは違う」と否定する。どうしたらいいか、わからない。この感情の始末の仕方が、わからなかった。


食堂に辿り着くと、少なくもない生徒がうろうろとしていた。パンにかじりついていたり、糖蜜パイを皿にとっていたりと忙しい。
できるだけ人気の少ないところに座ってから、ドラコはコーヒーカップをとった。中にはたっぷりと甘いコーヒーがそそがれている。とりあえずドラコはそれを眺めて、口をつけた。どこの豆だか知らないが、いい香りはする。
と、誰かが自分の隣りに腰を下ろすのが感じ取れた。ドラコは精一杯の不快感を顔に出して、その人間を睨んだ。が、その瞬間、不機嫌な顔はすっかり風にふかれて消えた。
隣りに座ったが笑み、「おはよう、今朝の目覚めはいかがだったかな?」と話し掛けてきたのだ。ドラコの右隣の椅子に腰掛けた彼は、さっそくクロワッサンに手を伸ばしていた。
ドラコは硬直していた。あまりの突然のことに思考回路は全面的にストップ。心臓だけがどくどくとやかましい。にとっては、ただ適当に座っただけであろうその席は、ドラコにとっては運命とも言えるべき席だった。
ドラコの様子に気付いたが、「あれ、教授って生徒と一緒に食べちゃだめだったかな?・・・ああ、俺は助手だけどね」と苦笑する。困ったように下げた眉。はじめて見た表情に困惑する。さっと顔を逸らした。ずっと彼の顔を見ているのも、心臓のポンプ運動に悪影響を及ぼしそうだったからだ。


それでも彼はどんどん質問を繰り返してくる。困った、まったく困った。「ああ」だとか「はあ」だとか「いや、まあ」とか、つまらない返事しか出来ない自分を恥じた。誰も助けてくれないことなど分かっているのに、自分の力でどうにかしようとも思えなかった。顔は熱くなるが、心地がよかった。彼がそばにいることに、さまざまな感情が湧きあがった。嬉しさとも感動ともちがう、妙な安心感が伴い、それでいてどぎまぎする。
もっとそばにいたい。頭にその言葉がよぎった。


どのくらいのあいだ、カップを持ったまま動きを止めていたのだろう。隣りから「さてと、」という呟きが聞こえて、やっと我にかえった。


「そろそろ行こうかな」


ゆっくり立ちあがったを見上げる。オフホワイトのTシャツが、彼の白い肌にぴったりだ。ドラコは喉仏を上下させた。次の瞬間、自分の右手が彼のシャツの端をしっかりと握っていた。


「ぼ、僕もいってもいいですか・・・その、先生がよければ・・ですけど」


言ってから、「なにを自分は」と顔を真っ赤にさせたのだが、時すでに遅しである。
ドラコはうつむいたまま、顔を上げようとはせず、まるで幼子が駄々をこねるかのようだ。はドラコとその右手を何度も見てから「構わないよ」と笑った。ドラコは手を引っ込めると、その笑顔から目を逸らし、顔を染めた。自分の行動が信じられない。憎まれ口も立たけない。




グリフィンドール寮内に住んでいるをじっと待つ。グリフィンドールの扉の前をうろちょろしはじめたとき、太ったレディが「あなた、スリザリンでしょう。なぜここにずっといるのかしら」と問い掛けてきた。ドラコは彼女を睨み返すと「うるさい、おまえはこの僕に質問する権利など持ち合わせちゃいない」と低い声で言った。正直、そんな質問に答えられる余裕などなかっただけで、ためいきが出た。
いつの間にか、こんな低い声が出るようになっていた。身長も父に追いつこうかというほどになっていたし、体が骨ばってきた。うつむくとすぐ垂れてくる邪魔な前髪をかき上げる。


彼は手ぶらでやってきた。若い男特有の格好にどぎまぎする。


「ここに越してきたばかりだから、必要なものが出てきちゃて、買わないといけないんだ。あと、甘いものが食べたくて・・・」
「あ、甘い?」


ぎこちなく問うてみた。
を横目でちらと見てから、首をひねる。甘いものと彼がなかなか結びつかないのだ。それでも、横にいる彼から匂うこの香りは、独特の甘さを漂わせていた。理由はわからない。


「うん、こう、豪快にサンデーとか食べたいんだよ」
と、動きを付けて説明してみせたは、どこかユーモアがあって楽しい。しかしドラコは、その彼の上げられた手だけを凝視してしまっていた。大きくて男らしい、ごつごつした手の甲から指先にどきりとする。爪なんか雑に切りそろえられていて、ひとつひとつも大きい。
(じっくり見たら、不気味がられるかもしれない・・・)
ドラコはさっと視線をあらぬところへと向けた。




二人で校内を抜け、ダイアゴン横丁に向かった。その間にドラコはさまざま観察してみた。
たとえば、彼は話に詰まると、口を尖らせるという癖があることに気が付いた。たぶん自覚がないらしく、何度もそれをしていた。「ええと、」とか言うたびに唇を尖らせる。その子どものような行動に、かわいらしさを感じてしまう。
自分はきっと病気なのだとドラコは思った。自分よりも随分年上な男にそんな表現、腐っている。だからきっと病気だと思った。そうすることで妙に納得できた。病にしてしまったら、とてもぴったりだったからだ。この変な感情や思いも。
自分はどうかしている。




羽根ペンを買うはずだったのに、はまっさきにアイスクリームパーラーへと足を進めていた。ドラコはそんな彼の背中を追うだけであったが、溜め息が出た。どうやら食欲が第一らしい。


フローリアン・フォーテスキュー・アイスクリームパーラーでとっても大きなサンデーを買い、クリームを頬張るはドラコと同い年、いやそれより下にも見える。
肌寒くなってきたというのにすごい。自分には無理だとドラコは思う。
と、視線がの瞳に向かった。妙に青い瞳。明るさを帯びたウォーターブルーのそれに、完全に目を奪われた。彼はどこもかしこも美しいが、瞳が一番だ。まるでひとつの惑星のように見える。


ぽっかりと、彼の白い宇宙に青い球体が浮かんでいる。


そんな感じだった。
目を見ていたせいか、が気付いてこちらを見てきた。どきりとする。食べる?と聞かれ、首を横に振る。なのに、遠慮するなよ、とアイスクリームをこっちへ差し出してきた。
(本当にいらないんだよ・・・お人よしだな)
ほんの少し舐めた。バニラの香りは嫌いじゃないが、それより、少しだけこちらに近付いてきたの体のほうが気になってしまった。後ずさりする。


「アイスクリーム、苦手かな?」


まったく申し訳なさそうじゃなく言う彼の目は細められていた。微笑んでいる。
その表情を見て跳ねあがる心臓に、ドラコは気付いてしまった。


(そうか。その方が、納得できるじゃないか・・・ばかだった、僕は)










これは、




            透きとおる惑星




恋だ。


口の中の後味が物語っているかのようだった。



















2007.10.22