マダム・ポンフリーに包帯を巻き直してもらっていると、医務室の扉が開きダンブルドアが入ってきた。立ち上がろうとしたを制し、そばに立つ。彼の目は神妙だった。


「調子はどうじゃ」
「多少痛みますが、食欲もありますし傷の治りも順調です。マダム・ポンフリーの治療のおかげです」
「そうかそうか、それは何より」


を見つめる瞳は宇宙のように輝いている。そこには億千の星が宿っているようだ。彼は本当に特別な人だと、は確信している。


教授」
「へっ?あ、は、はい」


突然そんな呼び方をされ、気の抜けた声が出た。マダムに入れてもらったミルクティーのカップをそばに置く。


「今回、きみの勇気ある行動によりシリウス=ブラックの冤罪を晴らすことができた」
半月型のレンズの向こう側が少しだけすっと細くなり、こちらも背筋が伸びる。そういう魔法をかけられたみたいに。


「ペティグリューの生存が確認され、シリウスの無罪は確定されるじゃろう。君はとても勇敢なそして優れた魔法使いじゃ」


はなにも返事ができなかった。ハリーたちの力もありました。そんな一言さえ、今は煩わしかった。ただ自分の手を優しく握っていてくれるダンブルドアの、老人とは思えない暖かな掌に涙が出た。


本当は怖かったのかもしれない。リーマスが人間の心を失い、狼に成り下がったとき、今までほとんど見たことのなかった狂気の沙汰に足が竦むのがわかった。助けられるのは自分しかいない。そう思ったから飛び出した。どこかに驕りがあったのかもしれない。確かにリーマスは心のどこかでを認識したが、それを振り払った獣性は、躊躇なく全力でに爪を突き立ててきた。恐ろしかった。だれよりも信頼してたはずの彼に恐怖を感じた自分が信じられなかった。


「確かに、ひとりの魔法使いの無実は証明できたかもしれません。でも俺はリーマスを守れませんでした、たった一人の家族さえも守れなかったんです。俺は弱い、情けない魔法使いだ」


はシーツを握りしめた。目の奥は曇り、霙でも降り落ちてきそうな色をしている。ミントグリーンが澱んだ。
ふとは拒絶したい不安を抱いた。


「・・・先生、リーマスは、リーマスはここに残れますか?先生、彼はほんとに善人で、悪意なんてこれっぽっちもない『人間』なんです。もし彼がホグワーツを辞めさせられるなら、代わりに俺が辞めます。もともと魔法哲学はホグワーツにはなかったし、実践には必要ない学問です。けれど闇の魔術に対する防衛術は違います。密かに闇の陣営は動き出しています。リーマスは不死鳥の騎士団にいたし、より実践的な、」
、もうよい」


ダンブルドアの宥める声が、の涙腺を殊更刺激した。
なにがいいんだ。よくない、なにもよくなんかない。リーマスはここに残れるのかどうか、それだけが重要なんだ。俺のせいでリーマスが職を失うなんてもう懲り懲りだ。俺はもう構わない、まだ二十歳だし仕事ならいくらでも見つかるはずだ。でもリーマスは違う。リーマスは、リーマスは・・・


「先生、お願いします・・・俺がリーマスの代わりに辞めますから・・・彼を・・・」


うなだれて、かすかに聞こえる声で赦しを請う。彼は少し混乱しているようだった。ダンブルドアは彼の背中をさすり、しとしと落ちる涙を拭ってやる。この願いに頷くことはできない。は無心で、お願いです、助けてください、俺が代わりに辞めます、と呟いている。ダンブルドアがその悲痛な声に目をつむったそのとき、





なによりも暖かで優しい声が、の名を呼んだ。ゆったりとした足取りで医務室の入り口からやってきたのは、リーマスだった。「ダンブルドア先生を困らせてはいけない」
のそばに立つと彼の頬を撫でる。それが濡れていることに気づき、リーマスの胸は痛んだ。


は昔からこうだった。自分のためになんか涙を流したことのない、慈悲深い青年だった。今だってそう、彼はただひとりの家族のために泣いて懇願していた。


、わたしは自ら退職を願い出たんだ」


退職は、ダンブルドアをこれ以上困らせないための最後の手段だった。自分がここにいれば、遅かれ早かれ問題が生じるだろうと薄々感づいてはいた。だからそう決断することができたのだ。
はそれだけ聞くと、すべてを悟ったように顔を上げ、枕の横に置いてあった杖をとり、ベッドの脇の小さな棚に向かってゆっくりと振った。かたりと物音がして、その後または杖を振る。と、その棚の引き出しから白い封筒が出てきた。それを手に取り、ダンブルドアにそっと差し出す。


「受け取ってください」
「・・・これは?」
「退職願です。内容もちゃんと書いてあると思います。俺の魔法がうまくいっていれば、ですけど」


淡々と話すにリーマスは慌てた。


「待て、。なぜ君が辞める必要がある」
「リーマスは自分一人で生きていけると思うのか?俺がいなきゃちゃんとした生活だってままならなかったじゃないか」
「生きていけるもなにも、と生活を始めるまではずっと一人だったんだ。君が心配する必要なんか・・・君がわたしのために仕事を辞める必要なんかない」
「ちがうっ、リーマス、俺は、」
「それに、もうホグワーツには君を待つ生徒がたくさんいるじゃないか。彼らを失望させてはいけない。魔法哲学は、君にしかない知識だ。君にしか教えられない。こどもたちはの授業を待っている。君が教授になったとき、わたしは君にそう言っただろう?」
「でも・・・」
「でも、なんだ?・・・もうはわたしのために生きる必要なんかないんだ、自由に好きなことをやればいい。のやりたいことはわたしの世話じゃないだろう?君はここに残るんだ。それが君の使命だ」


なにも言い返せなかった。ここまでリーマスがに何かを強く言い切ることなんて、今までなかったからだ。


「俺は・・・リーマスの世話をするとか、そんなふうに思いながらリーマスと暮らしてきたわけじゃない。やりたいとかやりたくないとか、そんなこと考えたこともない。だって・・・だって家族なんだから一緒にいるのは当たり前だろ!」


やるせなさから止めどなくあふれる涙。なぜわかってくれないんだろう。リーマスは自分にとってたった一人の家族だから、失いたくないだけなのに。それさえもなぜわかってくれない。
背中の傷が疼き、この場から逃げ出すこともできず、はベッドに頭まで潜り込んだ。我ながらこどもっぽいと思うが仕方ない。もうほっといてほしかった。















































2010.4.6