駆け上がると丘がある。そこから河川敷を眺めると、ああ、今年ももう終わってしまうんだと思った。 生き方のレシピ 今年が終わってしまったら、もう中学生も残り3ヶ月で、そうなったらもうみんなと離れてしまうんだと思ったら、俺は泣かずにはいられなかった。悔しい思いもしたし、ぼろぼろ涙が溢れるほど嬉しい思いもした。 中2の夏に右手首を痛めて、ちょっと病院に行っただけだったのに、もう関節が駄目になっていると聞いたときは、もう俺は死ぬしかないんだと悟った。テニスができないんなら俺は死んだ方がよかった。でも誰にも言えなくて、完治するまではちょっと休むと言い訳して、ずっと部活を見学していた。そんなことを2ヶ月ほど続けていたら、岳人たちに呼び出されて本当のことを言えと怒鳴られた。 「なに、本当のことって」 とぼけるしかなく、なに本気でキレてんだよと、するりと交わした。言える訳ないだろ。おまえだったらどうしたんだよ。そう叫びたかった。滝はじっと俺を見ていたし、忍足はどこか下の方を見つめていた。跡部は壁により掛かって腕を組み、目を瞑っていた。この部屋の空気に飲み込まれたくなくて、俺は荷物を持って部室を飛び出した。重いバッグを持った右手首が痛かった。帰り道、みんなに嘘をついていることが申し訳なくてずっと頭の中で謝り続けていた。そうするしか俺にはできなかった。 結局このあと俺の怪我はバレてしまって、跡部と監督と三人での話し合いなんてのも持たれてしまったほどだ。俺はどうしてもテニス部をやめたくなかった。みんなと離れたくなかったからだ。みんなとの繋がりをなくしたくなかった。レギュラーになれなくていいんです。籍を置きたいだけなんです。精一杯訴えていたら涙が出ていた。怪我をしてからはじめて泣いた。嗚咽は出ないのに、涙だけが壊れた蛇口のように止まらなかった。俺は強がっていたんだなと、そのとき初めて気がついた。 俺はラケットを握らないテニス部員になった。 年末の冷たい風が体に打ち付けられて、顔が寒かった。夕日はもう落ちてきていて、じわじわとオレンジが空に滲んでいる。いろいろな思いが詰まったこの数年間に思いを馳せていると、川を挟んで向こう側の土手に誰かがぽつんといるのに気がついた。こちらを見ているようだ。派手なコートだなあ・・・あ、 「・・・跡部かよ」 「なんだその、妙に落胆した声はよ」 「・・・聞こえてんのかよ」 俺は土手を降りて、河川敷を歩いていった。それを見た跡部もゆっくり土手を降りてくる。ただそこに流れるだけの川を挟んで俺たちは言葉を交わす。 「まさか一年の終わりに跡部に会うなんてなあ。考えもしなかった」 「そりゃこっちの台詞だ。清々しく一年を締めくくれねえ」 「おい、そりゃどういう意味だよ」 「・・・怒んなよ、冗談だ」 くつくつと笑う跡部の姿は遠くからでもきれいだった。夕日の逆光の中でも際立つ美しさだ。なんだか気恥ずかしくて目をそらす。俺は川面を見つめてから、川に歩み寄り、水の中に一歩踏み込んでみた。その行動に驚いたのか、跡部が短く声を発した。スニーカーが地味に濡れたかと思うと、完全に浸ってしまう。かなり冷たい。痛い。 「な、何やってんだ、おまえ」 「いや・・・なんか入りたくなった」 跡部は俺を気味悪そうに見つめている。なにを言ってんだこいつ・・・みたいな視線。やめてくれよその目。 監督と跡部との話し合いの時、跡部はずっと俺に視線を向けていた。横から刺さる彼の視線が気になりながら、神妙な雰囲気を纏った監督と話を続けた。恥ずかしげもなく散々泣きはらした俺は、二言三言しか喋っていない跡部と部屋を出る。廊下でため息をついた直後、跡部が俺の頭を撫でた。 「な、なに」 「撫でたくなっただけだ」 「やめろよ」 「少しくらい我慢しろ」 「わがまま」 「うるせえ」 跡部の暖かい掌が俺の頭上を包み込む。わしゃわしゃと優しく撫でられた。犬か俺は。でもひどく安堵して、俺より背の低い跡部にそっと寄りかかってみた(彼が特別小さいんじゃない、俺が普通よりでかいんだ)。そしたら跡部は俺の頭を自分の肩に押しつけてこう言ったんだ。 「やっと力抜けただろ」 跡部は知っていた、俺が強がっていたこと。俺より俺を知っていた。 「おまえはいつもそうやって強いかのように装ってるが、最後はその鎧の重さに耐えかねて潰れるのが関の山だ。怪我のことだって・・・誰かに言えば気が楽になったはずだろうが。独りで強がってじっと耐えて。弱いくせによ・・・このばか」 あたたかかった。彼のすべてが苦しいほどあたたかい。 いつの間にか跡部も川に足を突っ込んでいた。あーあ、高い靴だろうに。黒い革靴が沈む様を見て、申し訳ない気持ちになる。こっちを見つめたまま、だんまりを決め込んだように跡部は川の中を歩いている。何か言いたそうでもあった。 「・・・皮肉なもんだな」俺はつぶやく。 「あん?」 「怪我してやっと本当の自分をさらけ出せたなんて」 跡部が何か言い出す前に、俺が話を切りだした。 正直、故障をしてよかった部分も結構あった。跡部にああ言ってもらえなければ、俺は気づかぬ間に自分を締め付けていたんだろうか。誰にも心配かけないように、自分の問題は己の中で無理矢理消化させようとして・・・それが周りの人間にも影響していることも知らずに。そのことに気づけてよかった。これが怪我と同等の価値があるとは限らないけれど。 なにかを失えば、なにかを自然と得ることができるんだ。 足元の冷水が打ちつけて、足首まで浸かってしまった。冷たさを通り越して、毛穴から染み入るように、凍えきった川の水がちりちりと痛い。きっと目の前にいる少年も同じはずなのに、彼は川から出ようとはしなかった。だから俺も出なかった。 「生きててよかったな」 「え?なに?」 「・・・や、」 おまえが生きててよかった。 なんだよそれ、なんか俺、死に損ないみたいだな。俺はそう言って笑ってみせたが、ほんとうは死ぬほど嬉しかった。テニスはできなかったが、みんなと同じ時間と場所を共有できたことこそが、俺の生きた証だ。 「来年もよろしく」 そう笑って言えることに至極の感謝を。 090104 テニスなんかできなくてももうよかった。 |