豪華絢爛な部屋を案内する真宮の後を追い、まるで異国の城のような屋敷を歩き回る。歩幅が全く違うらしく、が小走りでせっせと追いかけてきていることに真宮は気づいていない。一人息子に嫌われた箇所その一というところかもしれないと思った。




blooming beaming #2 温かな星空



はひとつのドアの前に立ち止まった真宮を見て、彼を見上げた。


「ここが俺の部屋ですか」
「はい。隣が景吾お坊っちゃまのお部屋になります」


真宮が指さした向こうに、窓から陽の光が射し込み、柔らかな赤い絨毯の敷かれた廊下が伸びていた。木製の細工細やかな、かなり大きなドアを前に少々どぎまぎする。真宮がドアノブを捻ると音もなく扉が開かれ、中世ヨーロッパ様式のような煌 びやかな部屋が途端に広がる。
部屋の中央に佇むソファは、純白という言葉を当てつけるのが相応しい、眩いばかりのシルク。天井が高いため、窓も限りなく大きい。日当たりも良好だ。部屋は暖かだった。床は大理石で(しかも床暖房だ)、対になったふたつのソファに挟まれた、上品な白いテーブルの上には、磨かれて輝きを放つティーセットが置かれている。その奥には天蓋付きのキングサイズのベッド。ここに独りで寝るらしい。孤独だ。
部屋にはドアがふたつあり、ひとつはバスルーム(ジャグジー付きの真っ白なバスタブだ)(ガラス張りには何の意味があるのだろう)、ひとつは書斎につながっていた。
個人の部屋にバスルームがあるなんてまるでホテルだな、とが人事よろしく感心していると、真宮がさっさと部屋を出て行ってしまい、ひとりにされた。静まり返っただだっ広い室内にぽつねんと佇んだまま、ひとつため息をつく。
とりあえずはソファに座ろうと思ってゆっくりシルク生地に手をついた。


「うわっ」


生地の肌触りにびっくりして、思わずついた手を離した。徐々に感触に現実味が増す。何だ今の・・・この世のものか?は再度恐る恐るそれに手を乗せ、さすってみた。さらさらつるつるした、今までに体感したことのない肌触りに皮膚が驚いている。世の中にこれほどまで人を快楽の淵に貶める素材があるなんて!そっと腰をおろすと想像より深く柔らかく沈んでいき、とても心地よい。はおずおずとそのまま横になってみた。これがソファ?目を瞑ったらすぐにでも夢の国に飛んでいけそうだ。
伸びをしてみたりして高級ソファを満喫していると、そんなを知ってか知らずかドアが無遠慮に開かれた。その音に跳ね起きる。


(なっなに!)


若干の羞恥と驚愕で心臓が騒がしい。備え付けのソファにひとりで喜んで足をぱたつかせている様は、気味が悪くて恥ずかしかった。
目を凝らしてドアのあたりを見てみると、その人物は奇異なものを見る目でこちらを見ていた。同い年とは思えない華やかなオーラと、高い背には覚えがある。
今まで勝手に想像していた一般的なお坊っちゃんのイメージ(金持ちの一人息子=物腰が柔らかく礼儀正しい、さわやかな好青年という先入観)を完全に打ち砕くこの少年に、はついさっき驚かされたばかりだ。自分を「貰いもの」と呼んだ彼に好感なんて持てないが、その存在には結構興味がある。今まで接してきた人々とはあまりにかけ離れているからかもしれないが、それ以前にこれから兄弟となる人物だ。彼の名前はなんだった か。跡部・・・跡部、そうだ、


「景吾くん、」


に名を呼ばれた跡部家の御曹司は、少し驚いた顔をしてから楽しそうに(いっそ楽しむように)口角を上げた。冷たい微笑とはまさしくこれだ。


「さっきもだが、よく俺の名前が解ったな。褒めてやるぜ、養子」・・・どうして彼はこんなに柄悪く絡んでくるのだろう。
「・・・俺にはちゃんと名前がある。養子なんて、そんな風に呼ばれる筋合いないよ」
一瞬、目を瞬かせた景吾は、次に悩むような顔を見せた。


「おまえの名前はたしか・・・、だったか?」
「え?あ、ああ、うん」


彼はどうやら俺の呼び名に悩んでいるらしい。えっもしかしてまさか純粋に俺をなんて 呼んだらわかんなくて、養子って言ってたわけ?生粋のお坊ちゃん?
<はいささか不安になる。


「じゃあお前のお望み通り、名前で呼んでやるぜ。感謝しろよ、


満足したように向かいのソファにゆったりと腰掛けた少年は、長い足を組みの顔をじっと見てくる。優雅な動きで、彼は肘掛けに頬杖をついた。彼は心底楽しそうだ。


景吾は少しの間、自分の兄弟を眺めると、突然立ち上がってスタスタと部屋を出て行った。数秒後、景吾は部屋に戻ってきて、なにやら冊子を広げ始めた。突発的な行動をするタイプなのだろうか。は景吾の手元を覗き込むと、 どうやらそれは氷帝学園中のパンフレットらしい。景吾はどこかのページを探しているようで、せわしく指を動かしていた。次々とめくる白い指はスポーツをやっている少年のものとは思えない。ひとりであんなに広いコートを右往左往して、硬いラケットを振り回すのだから、テニスプレイヤーの手の皮は硬くなってごつごつしてるものだとばかり思っていた。怪我なんかしないのかなと考えていたら景吾の手が止まり、は開かれたページに目線を移す。そこには部活動の写真が数枚載っていて、代表として男子テニス部と吹奏楽部のコメントが記載されていた。もちろん、目の前の少年の写真も。


、おまえはテニス部に入れ、いいな」
「前の学校ではサッカー部だったんだけど・・・」
「おまえに拒否権はねえ。おら、さっさと署名しろ」


そう吐き 捨てるように言って、景吾は入部届を取り出した。そして万年筆。長い人差し指がこつこつと用紙をたたく。早くしろと急かされているらしい。黒い万年筆はまるで拳銃のようで、左胸もしくは額にでも押しつけられているように感じる。はルールも知らないテニスに馴染めるとは思えなかった。ラケットにボールを当てることはできるだろうか。ボールが小さすぎて不安だ。


「早くしろ」
「でも、テニスなんてやったことないし・・・ラケットを握ったことすらないのに、無理だよ」精一杯の抵抗。
「じゃあ握らせてやるよ、来い」


外はもはや暗い。もうそろそろ夕食の用意もできそうだ。明日は学校だし、そのための準備もある。テニスをできるような環境でもないし、何より気が向かない。しかし、は腕を掴まれて部屋から引っ張り出された。そ のまま景吾の部屋に連れ込まれ(部屋のデザインは異なったがサイズはあまり変わらなかった)(やはり生活感はない)なにか大きなバッグを肩に掛けたかと思ったら、また廊下を歩かされていた。どこに行くつもりなんだ。景吾の表情は喜々としていたが、の頭は混乱していた。何考えてんだかわからない、人智を越えている。でも腕から伝わる彼の体温はまさしく少年のもので、自分と一緒だと思った。
まだ彼の母親を目視していない、たぶん昼間のうちこの家にいるのは息子と召使いくらいだ。兄弟もいない彼が抱いているのはたぶん孤独で、自分がハウスの自室に戻ったときにいつも感じていたものと一緒だと思った。ハウスの中には兄弟で引き取られた子供もいたが、は一人だったし最年長なだけあって、気の合う存在はなかなかいなかった。なぜこの家の主人が養子なんてとったのかやっと解 った気がする。


「景吾くんっ、どこいくの・・・っ?」
「コートに決まってんだろうが、ああん?」
「だってもう真っ暗だし、球なんか見えないんじゃない」
「馬鹿かてめえ。うちのコートはナイター完備だ」


うちのコート。ああ、なるほどねえ。は思考を巡らすのも面倒になった。







初めて会ったという男は、目を真っ赤にしていて、気弱そうだった。駄々でもこねて車の中で泣いていたんだろう。初めて会った彼が、父親から聞いていた少年のイメージとてんで異なることに景吾は気がついた。聡明な、それでいて意志の強そうなグリーンの瞳は美しい森の奥底の深緑のようで、長い手足には若い力の漲った筋肉が、声にも行動力のありそうな強さが籠もっているんだと謳う、悦に入った父の顔を思い出す。景吾はそれからまた目の前の少年を一瞥した。・・・どこがだ?片鱗さえ見られないじゃないか。とにかく景吾は、どこの馬の骨とも分からぬ男に跡部家の敷居を踏んでほしくなかった。そんな思いをすべて吸収したこの台詞。
馴れ馴れしく呼んでんじゃねえよ、貰いもんが。
言い過ぎだとは思わないし、予想外に弱々しい彼に腹立たしくなったのも事実だ。しかし興味がわいたというのも本心。あの厳しい父が舌を巻いた男だ。もしかすると景吾たちにだけは本当の姿を晒してこないだけかもしれない。予告なしに部屋に入ると、やつはソファの上に寝っ転がって恍惚の表情を浮かべていた。こいつは一体なにをしているんだと不審に思ったが、はっとした顔で寄越した視線が切れ味のよいもので、景吾は驚愕する。さっきまでぐずっていた表情から大いに変化を遂げた煌々ときらめく瞳。話してみると意外と愉快だ。発することばひとつひとつから、気の強い奴だと分かった。久しぶりに対話のみから楽しさを感じることができて、景吾はなんだか幸せだった。今まではラケットを振り合うことこそが最大の会話だと思っていたのに。。悪くない。心の穴が埋まるようだった。




ラケットを握る姿は妙に可笑しくて、言ってしまえば似合わない。優しくボールを出してやると、あらぬところに返される。やったことがないと言うだけあって、のフォームは最悪だった。握りが弱いようで、振ると手からするりとラケットが滑り落ちる。練習用のものだとしてもそう何度も投げ飛ばされては、景吾の堪忍袋の緒も切れてしまう。


、ちゃんとグリップ握ってんのかてめえ!」


フレーム割れんだろうが、怒鳴りながらと強くサーブを出したら情けない声がした。後ろにひっくり返ったが、危ないなあと呻いた。知るか、てめえが下手なのが悪いんだよ。景吾はラケットを肩に預けて深いため息をついた。センスがねえ。つうか基礎的な運動能力がねえ。呆れてため息をつくと、ネットを挟んだ向こう側からたるんだ声が響いた。


「ねえ、お腹減らない?」


いっぺん死ね。景吾はボールをの体にぶち当てることだけに意識を集中させた。そろそろ星が瞬き始めている。ボールを放り上げた夜空に視線を上げながら、の碧い緑色の瞳を思い浮かべていた。














(20090204 やっとフレンドリーになってきた)