15年たった今も、ふたりは白い仮面を被ったままだった。俺は親の顔を知らない。ふたりが俺を捨てた理由も知らない。きっとハウスの先生は知っているんだろうけど、結局教えてくれなかった。もう少し強情に尋ねてもよかったのかもしれない。今となってはもう遅すぎる。 俺は14年間一緒に住んできた68人の仲間と4人の先生、それからメルチェリアハウスに別れを告げる。 blooming beaming #1 さよなら家族 「先生、それじゃ」 なんと言ってよいか分からず、はぽつりとそう告げる。ハウスの児童たちの世話をする数人の大人たちのことを、ハウスのみんなは先生と呼んでいるか、彼らは家族のような存在だ。同じ屋根の下、共に長い間生活してきた彼らはもう親のようなものだった。 彼らに背を向けたとき、ほんとうにいっちゃうの 、と幼い声が足下から聞こえた。小さな少女がの細長い片足にしがみついている。はどうしようもなくて、彼女の頭を撫でた。謝るべきなのか、はたまた励ますべきなのか。きっと昨日までの自分だったら解ったんだろう。 氷帝学園に通えるなら。それが養子になる決め手だった。財閥の家であったし、金銭面では全く問題がない。問題があるとすればひとつ、同い年の息子がいるということだけが気がかりだ。 家主には一度だけ会うことができた。ふたりきりの対面。目の前に座る男は背が高く力強い目が印象的だった。は彼が妙に苦手に感じたのだが(それと同時になんだかとても羨ましい)、彼の口から発せられる言葉ひとつひとつが思わず優しく。 「跡部の次 世代を担う人材になってほしいなんて、適当なことを言ってさっさと帰ってしまおうかと考えていたんだが、きみを一目見て考えが変わった。心から私の息子になってほしい。約束だ、私は愛する息子は必ず守る」 彼のことばがの胸をどくりと打つ。もしかしたらこの言葉が欲しかったのかなと思った。 「・・・・俺でよければ」 は一言だけ答えた。途端に目の前の凛々しい顔がほころぶ。そうか、よかった。驚くほど小さな声で、そう男は言った。はそれに微笑みかけ、これから先にただ漠然と佇む未来に思いを馳せる。俺はどうなっていくのだろう。目の前の男が父親になると分かったら、瞬間にして、その存在にどう接していいか分からずただ静かに微笑むしかなか った。今までずっと欲していたはずの存在に、明らかに戸惑っている。暖かな手のひらが頭に乗せられたときは、照れ笑いをすればいいのだろうか。 それ以来、父には会えていない。多忙な人間だということは知っている。詳しいことは家の執事が説明してくれた。 執事の真宮は30歳ほどの若い男だ。黒い髪がさらさら漂う様が彼に似合う。これからずっとの執事として、なにからなにまで世話をしてくれるという。まいった。そこまで金持ちだったなんて。 が車の窓から小さくなるハウスの住人たち見つめていると、真宮がおもむろに口を開いた。 「さま、隠しておいでではありませんか」 少しの間。真宮の言葉は重要な部 分が欠落していて、意味を成していない。 「あの・・・なにをですか」 訳が分からずもう一度聞く。彼の声に暖かさはない。 「ほんとうは厭なのではないですか。今までずっと共に暮らしてきた方々と離ればなれになることをお選びになる方には見えません」 は答えに困った。彼が一体どんな返答を求めているのか理解できなかったからだ。少し考えてから、 「そんなこと・・・俺は家族ができてうれしいんです」 と答えてみた。様子を窺う。助席に座る真宮の表情は見て取れないが、微笑んではいないということだけは分かった。静かになった車内で真宮はじっと口を噤んでいた。暫しの間。運転手はまったく会話に入ってこない。ハンドルを握る手は少しもぶれない。聞こえてるくせに、と思う。 「それは言い訳です。さま、お願いですから自分の感情を隠すような行為はお止めください。・・・つらそうで見ていられません」 真宮の静かな拒否に、は淡く優しい緑の瞳を細めて苦笑した。他人に心配をかけることしかできないのか、俺は。いつまで経っても。 本当は養子なんて嫌だった。「家族」のいるメルチェリアハウスから自分だけ切り離されるのが嫌だった。俺はまた大切なものをまた失してしまったのだろうか。いや、もともと俺に大切なものなんてなかったんだ。だけどこの空虚感は異常だ。 鼻腔がつうんと痛くなり顔を歪める。視界がにじみ、泣いていることに気づいた。温度のない涙は、まるで色のない海だ。俺は泣きたかったのだろうか。いや、泣くのは嫌いだった。涙が乾く感覚も、ぼんやりと鼻が詰まるのもいやだったから。早く止んでくれ。涙は自身の弱さの証だ。絶対に泣かないと決めた のに。なのに流れるこの涙は、俺の本心を明々と知らしめていた。 真宮は心底困っていた。泣いているをバックミラーで見る。茶色がかったふわりと宙でたゆたう髪の毛は、今の状況に不釣り合いなほど能天気だ。決して小さくはない体をちぢ込ませて、声を震わせていた。白い肌が赤く火照っている。そのとき、気づいた。 今まで大人という鎧に身を潜ませていたのであろうが泣き止むまで待つことにした。それが執事である自分ができる唯一のことだったからだ。 「真宮さん、あの・・・」 どのくらいの時間が経過したのだろう。頭がぼんやりと重い。泣きすぎて目がしっかり開かなくて、視界が狭い。が、ずっと助手席に座っていた真宮の名を呼んだ。すると真宮はの座席のドアを開け、下車を促す。ゆっくり足を下ろして車から降りると、靴の下の石畳に視線が落ちた。よくは分からないけれど、きっと高価な石たちなのかもしれない。 たちの乗っていた車のすぐ後ろに、同じ形の車が止まっていた。ドアが開け放たれ、中から人が出てくる。なぜか視線を外すことができない。男だ。淡い茶の髪が揺れて、こちらをちらりと見た 。あおい目。日本人離れした顔立ちに、は息を呑む。すると向こうから声をかけてきた。艶やかな声だった。 「・・・なんだてめえ」 「(てめえ・・・)あ、あの、」 「景吾お坊っちゃま、こちらが今日から跡部家の養子になられるさまです」 「あ(彼がそうなんだ)(お父さんにはあんまり似てない)・・・はじめまして、よろしくお願いします。けいご、くん」 初めてその名を呼ぶ。跡部家の一人息子は真宮を一瞥して、またを見た。射抜くような碧眼は、まるでこちらの心中を探るようで参ってしまう。だからといって目を背けるのも負けを認めるような気 がして、踏ん張りながらはその強い視線に耐えた。そういえば確かに少し前、これと同じ瞳に出会ったことがある。そうだ、彼の父(もとい自分の父)だ。は、親子とはそういうものなんだなと思った。どこかにひっそりと息づく親の血を、こうも禍々と見せつけられるとは。 「馴れ馴れしく呼んでんじゃねえよ、貰いもんが」 「けっ景吾お坊っちゃま!」 真宮が咄嗟に叫ぶと、景吾は口元に嘲笑を浮かべながら、身を翻し屋敷へと去ってしまった。 「・・・申し訳ありません、景吾お坊っちゃまは少々捻くれているところがおありで。本当はとてもお優しい方なのですが・・・どうかお許しを」 景吾についていた老執事がに頭を垂れ た。は、大丈夫ですよ頭をあげて下さい、と苦笑いを浮かべたが、脳内は彼の吐き捨てたせりふで満ち満ちていた。 確かに彼は言ったのだ。養子としてやってきた自分のことを、貰いもん、と。 (20090116 スタート!) |